白米のほぼ日常

友人に共有するほどでもないけど誰かに共有したい、そんな内容を綴ったブログ。

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? -経営における「アート」と「サイエンス」-

・はじめに

 今回手に取った本はこれです。 

 

 

 読むきっかけは友人に勧められたからです。いつかに電車内の広告でもみたことがあったし、twitter上でも多くの人が読んでいたため、ちょうど良いきっかけだと思い読むことにしました。

 

 ここでは、最初に要約し、本書内で自身が気になった考え方を紹介し、最後にこの本から得たことを基に今後どのように自身の生活に落とし込んでいくのかを書き留めたいと思います。

 

 

 

 ・要約

 最初に断りを入れておきますが、ここでの要約は「流し読み程度に通読したうえで、私にとって気になったところを読み直した内容をまとめたもの。」を意味しています。

 なので、自己の偏った解釈が含まれていたり、本書全体を網羅できていない内容である可能性が十分に高いです。そこをご理解ください。

 

 本書のメッセージラインは「変化が早い今日では、『美意識』が必要である。」ということです。特に本書はビジネスを例に構成されているため、読み始める際に「一見関係のないビジネスと美意識、どんな違いがあるのだろう。」と疑問が生じます。筆者はこの読者が抱えた疑問に対して、様々な例を用いて論拠づけることで説得力のある内容となっています。ここでは、大別して3つの例を説明します。

 

 

 

均質化からの脱却

 多くの企業がコンサルティングを取り入れた結果、論理的に導き出された解をその企業の事業とすることで世の中に同じような商材やサービスが溢れた。最初は差別化を図ろうとしたにも関わらず、同じようなものを扱うようになり差別化ができなくなってしまった。

 そこで経営の本質を見直してみると、経営にはKPIやROEなどで表せる定量的側面と、商材のコンセプトや従業員のメンタリティなどの定性的側面とでできていることに気づきました。行き詰まった現状を打破するためにこれまでのようにコンサルを導入することで経営の定量的なところを改善するのではなく、定量的なところにテコ入れすることが必要なのではないか、と考えるようになります。ここでさらに具体例を出して定量的なものとしてアートを提案しています。

 

 

ルールが追い付かない社会

  利益を得るためにビジネスの隙間を狙うとそこは法律のグレーゾーンであることが多い。当初白よりのグレーにいたのが段々利益を重視しすぎると黒よりのグレーになる。すると世の中は倫理的に良くないと叩き、それが続くと国家が法律で対処する。通常、法の世界では「事後法の禁止」という考えに基づき何かの出来事に対して後から制定した法律で裁くことを禁止しているが、度々例外が生じている。これらを読んでか踏まえてか、一部の企業では社是として善に従うことを掲げており、世の倫理観に背くビジネスをしないことを大事にしている。

 世の流れに遅れないよう、このようなことを個人単位でもすべきだと考える筆者は、定性的な価値観を習得するためにもアートを学ぶべきだと提案しています。

 

 

ソマティックマーカ

 ソマティックマーカとは、人が何かを決定する際、最初から最後まで論理的に考えているのではなく、数多ある選択肢を情動的に数種に絞り込み、そこから論理的に選択肢を絞っている、という考え方です。この場合の情動的な判断とは美意識に基づいた判断であると筆者は考え、その確度を高めるためにも美意識は重要であると唱えています。

 

 

 

・ 気になったところ

 本書内で特に『ああ、そうだな』となったのは「日本は恥の文化、欧米は罪の文化だ」という点です。この考えを初めて知ったのは受験期に論説文とかで読んだ時で、その時は「ウンウンそうだね」くらいにしか捉えていなかったです。ですが、いま触れてみるとこれまで感じていた海外の方との文化的な差による考え方の差に合点がいきました。

 

 

 

今後

 この本を読んで今後は2つの方向性のことに取り組みたいと思います。

 以前『7つの習慣』を読んで自身の判断軸をなんとなく作りました。当時は自分なりにたくさん考を決めたつもりですが、時を経るごとに納得感がなくなっている気がしています。この機会にこれまで疎遠だったアートに触れ、自身の美意識を磨き、価値観を見つめ直そうと思います。きっとすぐにできるものじゃないと思うので、数ヶ月かけて取り組んで行きたいと思います。

 

 

 

後日談

 今回した、本を一冊まとめる経験で2つことで難しいと感じた。

 一つは丁寧語で書く、ということだ。受験の小論文だろうと社内文書だろうと社外文書だろうとほとんどが”である調”か尊敬・謙譲語で書くため、丁寧語で書く機会がほとんどなかった。(実際である調で書いている後日談は非常に書きやすく、さらっとかけてしまった。)そのため本文を書いている時は気を使うし、その後校閲した際も語尾にばかり気を取られた。これからは丁寧語で書く機会も増えるだろうから、これを機会に身につけたいと思う。

 もう一つは、まとめることの難しさだ。特に、これまで本を読む際は気になったことや新たな学びの部分はノートにさっと書き残していただけなので、「だれかに読んでもらうかもしれないもの」と思いながらまとめることの難しさを痛感した。

 どちらも今の私には本当に難しい。だけど絶対に大切な力だと思うので今後も挑戦したいと思う。。。